仕事中の怪我に労災を使わないことは可能か?

「工具で指を切った」「ファイルを棚から取ろうとして転倒した」など、労働者が仕事中に怪我を負った場合、通常は労災として、労災保険による補償給付を利用し療養を行います。
しかし、中にはさまざまな理由により「労災保険を使いたくない」と考える人もいるでしょう。

仕事中の怪我を、労災を使わないで治療することは可能なのでしょうか。
今回は、この点について詳しくご説明します。

仕事中の怪我に労災を使わないことは可能か

まずは、仕事中に被った怪我の治療に、労災を使わないことは可能なのかどうか、見ていきましょう。

労災を使わないという選択は可能

結論から言うと、仕事中の怪我を、労災を使わずに治療することは可能です。

ただし、労働基準法には、仕事中の労働者の怪我に対する会社の補償責任が定められています。本来は、その責任を果たすために労災保険に加入し、月々の掛け金を会社が支払っているわけですが、その労災保険を使わないのであれば、会社が怪我をした労働者の治療や休業に対する費用を負担するしかありません。

また、通勤災害で交通事故に遭った場合、被災労働者は労災保険、自賠責、任意保険など、どの補償を利用するか選ぶことができます。(併用可能、二重取りは不可。)

ただし労災隠しは違法

前述の通り、仕事中に労働者が被った怪我を、労災保険を使わず、会社の全額負担で治療することは可能です。

ただし、労災隠しは違法であり、どんな事情があっても認められません。
労災隠しとは、事業主が労災の発生を意図的に隠蔽することを指します。具体的には、労災が起こったのにも関わらず事業主が「労働者死傷病報告書」を労働基準監督署へ提出しなかったり、報告書に虚偽の内容を記載したりといったことが挙げられます。

また、労災保険を使わず、会社が労働者の治療費等を負担すること自体は問題ないですが、その背景で労災隠しが行われている可能性もあります。

会社に「労災保険を使うな」と言われても、そこに強制力はありません。労災保険では比較的手厚い補償を受けられますが、会社が相応の補償をしてくれるかどうかも確実ではありません。
労災隠しへの加担を防止するためにも、労災に関する会社の対応に何か疑問を感じたら、労働基準監督署や弁護士など、専門機関に相談した方が良いでしょう。

労災保険と健康保険の給付対象は違う

労災による怪我について、労災保険を使用せず、会社負担で治療を受ける時に注意しておきたいのが、「労災による怪我の治療に健康保険は使えない」ということ。
労災保険と健康保険の給付対象は異なり、労災の治療に健康保険を使うこと、また業務外の治療に労災保険を使うことはできません。

【労災保険と健康保険の違い】

  労災保険 健康保険
対象 労働者の業務上の事由または通勤による労働者の傷病 業務外で発生した病気やけが、または、出産および死亡

※ ただし、H25年の法改正により、「労災保険の給付を受けられない業務上の負傷」も健康保険の補償対象となっています。

労災保険も健康保険も使わないとなると、治療費負担は100%です。
労災の怪我の治療に労災保険を使わないということは、治療費の全額を会社が負担しなければならないということでもあるのです。

労災を使いたくない(使えない)理由別の対応方法

労災に遭った人が「労災保険を使いたくない」「労災保険を使えない」と考える理由と、理由に応じた対応方法を4つご紹介します。

①労災を使うほどの怪我ではないから

業務中にちょっとした捻挫や打撲などを負った場合、「軽い怪我だから」と労災保険の利用を躊躇し、健康保険で治療を受けたというケースは珍しくありません。
しかし、症状が軽くても、業務中または通勤中の怪我は労災であり、労災保険の補償範囲内です。逆に、労災による傷病の治療を健康保険で受けるのは違法にあたります。

例え軽症でも、業務中や通勤中の怪我を治療する時には労災保険を適用し、くれぐれも健康保険を利用しないようにしてください。
また、もし健康保険を利用してしまった場合には、労災保険への切り替えを行うようにしましょう。

②会社から労災を使うなと言われたから

労災保険を利用しない被災労働者の中には、会社から「労災を使ってはいけない」と言われたという人もいるでしょう。
労災保険に関しては、保険料の値上がりや社会的信頼の低下を恐れ、労働者に圧力をかけて利用を制限する会社が見られます。

ただし、労災保険の利用は会社に制限されるものではなく、労働者自身が決めることです。例え会社が協力的でなくても、労働者自身が手続きを行うことも可能です。

「労災を使うな」と会社が労働者に圧力をかけることは労災隠しにあたり、違法です。
労災保険の手続きは労働者自身で進め、不安な点は労働基準監督署や弁護士に相談しましょう。
また、労災隠しに関する証拠はなるべく残しておいてください。

③会社に迷惑をかけたくないから

労災により傷病を被った労働者の中には、「会社に迷惑をかけたくない」と考え、労災保険を利用しない方もいます。

とはいえ、労災による傷病の治療に労災保険を利用しないこと自体が、会社の迷惑になる可能性もあります。なぜなら、労災保険を利用しないことで、「会社は治療費の全額を自費負担しなくてはならなくなる」また「労災隠しに繋がりやすくなる」からです。

労災による傷病の治療には健康保険が使えないため、労災保険を利用しない場合の会社の治療費負担額は大きくなります。さらに、労災隠しは違法であり、労災隠しを行った会社には罰金が課せられる可能性があります。

労災保険の利用により、会社で報告書や申請手続きの作業が必要になることやメリット制による保険料の値上げを気にされる方は多いですが、それらは会社として当然のことであり、迷惑だと考える必要はありません。
労災による傷病ならば、労災として、労災保険を使って治療を受けましょう。

④手続きがめんどくさいから

労災保険を使わない人の中には、「労災保険の補償を受けるための手続きが面倒」という理由で労災保険を使っていない方もいます。
しかし、労災保険の補償申請手続きは、面倒なものではありません。
例として、医療機関での治療費の補償を受けるため(療養補償給付・療養給付)の手続きを挙げておきましょう。

【療養補償給付・療養給付の申請手続き】

労災指定医療機関を受診した場合 労災指定医療機関以外を受診した場合
受診した医療機関に請求書を提出する(受診時の支払いなし) 受診した医療機関に証明をもらった請求書を労働基準監督署に提出する。(医療機関受診時に費用を一旦立て替え、後日振り込みにて返還)

このように、労災給付申請において、特に複雑な手続きは必要ありません。
他の給付申請の手続きも、基本的には請求書に各給付に応じた書類を添付して、労働基準監督署に提出するだけです。

また、手続きを会社が代理で引き受けることも多く、労働者自身の負担は決して大きなものではありません。
面倒だからと労災保険の手続きを放棄することは避けましょう。

労災なのに、健康保険で受診してしまった場合

労災による傷病なのに健康保険を使って治療を受けてしまった場合には、どうすれば良いのでしょうか。

健康保険から労災保険への切り替えが必要

前述の通り、健康保険が使えるのは、基本的に「業務外の負傷」に対してのみです。労災による傷病の治療に健康保険を使うのは、健康保険法に違反します(労災保険の給付を受けられない業務上の負傷を除く)。
よって、誤って労災による傷病治療に健康保険を利用した場合には、健康保険から労災保険への切り替えを行う必要があります。

健康保険から労災保険への切り替え手続き

健康保険から労災保険への切り替え手続きには、以下の2つの方法があります、

①受診した医療機関で切り替え可能だった場合

受診した医療機関に連絡し、治療を受けた傷病が労災であったことを伝え、労災保険への切り替えを依頼する。切り替えが可能であれば請求書を作成し医療機関へ提出する。不可であれば②へ。

②受診した医療機関で切り替え不可だった場合

医療機関での切り替えができなかった場合、自身の加入している健康保険組合に連絡し、労災に健康保険を使ってしまった旨を話し、組合側の指示に従って還手続きを行う。
返還手続きが終わったら、請求書に領収書や明細書を添付し、労働基準監督署に提出する。

まとめ

仕事中の怪我の治療には、労災保険を使うのが基本です。無理に労災保険の利用を避ければ、治療費負担は嵩み、また労災隠しも起きやすくなってしまいます。
適切な補償を受けるためにも、より良い職場環境のためにも、労働者と会社が労災保険と健康保険の補償対象をきちんと理解し、保険制度を正しく利用することが大切です。

また、もし会社から労災保険を使わないよう圧力をかけられたり、労災保険を申請して不当な扱いを受けたりした場合には、一度法律事務所にご相談ください。労災保険は、会社に利用を制限されるべきものではありません。
経験豊富な弁護士によるサポートで、速やかな労災トラブル解決を目指しましょう。